昨年の七夕まつりにて平塚の錦絵観光絵はがきを購入してみました。
葛飾北斎や歌川広重など、多くの絵師が手掛けた東海道五十三次は、江戸時代の旅の様子を今に伝える貴重な資料です。平塚のどの場所、どんな場面が錦絵となったのか興味がわき調べてみました。
第三回目にご紹介するのは、歌川広重による「東海道五十三次 平塚 馬入松原」です。
文字が隷書体で書かれていることから、通称「隷書(れいしょ)東海道」シリーズの一枚として知られています。(他の錦絵はこちら)

描かれている場所は、平塚宿の江戸寄り(東側)に位置する「馬入松原(ばにゅうまつばら)」の街道風景です
。二回目でご紹介した「馬入川の渡し」を終えて、宿場の中心部 (現在の平塚駅から5~10分ほど北に歩いた旧東海道のあたり) へと向かう道中の景色にあたります。この道をさらに進み、宿場地を通り抜けていくと一回目でご紹介した「縄手道」へとつながっていきます。
街道を歩く旅人の先にはおなじみの高麗山が見えます。この馬入松原付近は当時、高麗山の眺望が美しい名所として知られていましたが、実は当時の松並木は幕府によって厳格に管理された、現代で言う『公共インフラ』としての重要な役割を担っていました。
なぜ、幕府は松並木を植えたのか? これは単なる景観づくりだけでなく、「旅人の保護」「道路の維持」「道しるべ」という実用的な目的がいくつもありました。残念ながら空襲などで多くが失われたため、その歴史を伝えるために平塚市立松原公民館の敷地内に地元住民によって石碑が建立されました。


